私の「親家片」体験

無人となった実家。涙をこぼしながら片づけた 第2話(最終話) ~同じ苦労を子どもたちにさせないために~

衣類、写真……思い出の品を処分していると思うと胸が苦しくなり、涙があふれた  平塚葉子さん 東京都・59歳

 

食器や台所用品、衣類は、燃えるゴミと不燃ゴミに分けて、収集日に山と出した。

 

「いちばんつらかったのは実は衣類でした。両親や姉が着ていたものなので、いろいろな思い出があって。だけど、かさばる衣類をあれもこれも私が引き取るわけにはいきません。少しだけ残し、思いきって処分しました」

 

誰もいない家の居間にひとりポツンと座って、両親や姉の服を手にとりながら、何度も涙がこみ上げた。

「思い出の品を処分するという行為は、心の負担になりました。でも、東京の夫や娘に家のことをまかせて来ているわけですから、感傷にひたってばかりもいられません。涙をこぼしながらも、手を休ませることなく、片づけざるを得ませんでした」

 

ひとりで片づけるつらさもそくそくと感じた。

「横から口を出す人がいなくて、気楽に思えるかもしれません。だけど、すべて自分で“捨てる”“捨てない”を判断しなければならない。どんどん気が重くなっていってしまうんです。亡くなった家族が大事にしていたものだと思うと、なおのこと。情を捨てて取り組まないと前に進めないと感じました」

膨大な写真も残されていた。

「ほとんど捨てました。残したのは二十数枚です」

家具類は遺品整理の業者に頼んで、処分してもらった。2トントラック1台になんとかおさまった。かかった費用は約8万円。

 

お寺に相談して、仏壇も処分。専門業者に引き取ってもらった

 

「最後に残ったのが仏壇でした。宗派が違うので、東京に持っていくこともできません」

そこで実家がお世話になっていたお寺に相談。専門業者を紹介してもらった。

 

「当日、お坊さんがお経をあげ、業者が引き取ってくれました。これは、心を鬼にしなければ、できないことでした」

位牌はお寺にあずけ、永代供養を頼んだ。お墓も永代供養料を払い、平塚さんがお墓参りに通えなくなったら、お寺で管理してもらうことになっている。

 

「こうして家の中をからっぽにするまで約1年かかりました。その後、家を解体し、更地にしました。最近になって土地の買い手がやっと見つかりました。このような大変な思いは自分ひとりで十分。息子や2人の娘に同じような苦労はさせたくないと、せつに思います。以前は、身の回りの不用なものは処分しなければと考えつつ、なかなかできませんでした。でも、親の家を片づけてから、自分が元気なうちにやらなくてはと決心しました。モノの整理や処分に関する本、雑誌の記事などにも目を通し、“2年間使っていないものは処分する”というルールを決めて、半年前から片づけを始めています」

 

(完)