私の「親家片」体験

両家の片づけをひとりで行う  第1話 ~大変だったが、過去に思いをはせる喜びも味わう~

2軒の片づけがひとりの肩に。経営している美容室をスタッフにまかせ、モノとの格闘を  山口ゆかりさん 長崎県・66歳

 

「1994年は、私にとって忘れられない年でした。義母が6月に、そして実母が7月に亡くなったんです」

 

それぞれ夫を先に亡くし、ひとり暮らしだった。二人とも借家・借地に住んでいたため、悲しみが癒える間もなく、家を片づける必要に迫られた。

「実母の住まいは公団住宅でした。家賃や光熱費がかかるため、待ったなしで片づける必要がありました。義母の家は借地だったため、期限はありませんでしたが、更地にして返却しなければなりませんでした」

 

幸い、実母の家も、義母の家も、山口さんの自宅から近かった。

「でも私はひとりっ子で、兄弟姉妹に手伝いを頼むこともできない。夫には兄弟がいますが、みんな県外に住んでいました。ですから、片づけは私の肩にほぼすべてかかってきました」

 

期限があるなか、仕分けしながらコツコツと片づけ続けた

山口さんは美容室を営んでいる。

そこで美容室をスタッフにまかせ、山口さんは両家の片づけに専念することにした。

「日曜日は、夫が自分の実家の片づけを手伝ってくれました。夫の兄弟たちからは“自分たちのものや両親の思い出のものは捨てずにとっておいて”と言われました」

 

きょうは台所、きょうは箪笥の中……と場所を決めて、少しずつ片づけを進めた。

「宝箱を開けるような気持ちで広げては、使うもの、保管しておくもの、処分するものとに分けて箱に詰めました。疲れたら座敷の仏壇の写真に語りかけながら、静けさの中でお茶を飲みました」

 

食器棚や洋服箪笥などで使えるものは山口さんの自宅に運んだ。小箪笥や応接セット、テーブルなどは友達や知り合いが持っていってくれた。整理棚などは公民館に寄付。義父母の装飾品や着物、美術品の一部は夫の兄弟に引き取ってもらった。

「母たちは二人とも和服を着ていたので枚数も多く、すべてを処分できず、私がときどき着ています。実母の家のこまごまとしたものは便利屋さんに持っていってもらいました。実母のものはほとんど処分しました。部屋を返さなければならないという制限があったので、思いきることができました。舞踊や三味線の名取の免状など一部は私が持っておくことにしました」

第2話に続きます