私の「親家片」体験

地元の友人が不動産会社を経営。有利な条件で生家を売却 第1話 ~売却を決めてから5ヶ月で成立~

「いい家を残してくれた親に感謝しなくちゃね」
生家の売却に尽力してくれた高校時代の友人はこう言った
関根郁子さん 千葉県・65歳

 

関根さんの父親は、2002年に81年の生涯を閉じた。葬儀から3か月、関根さんたちは実家近くの菩提寺に出向き納骨。すでに空き家になって2年以上経過していた実家にも足を運んだことはいうまでもない。

 

「そのときに、はじめて気がついたといっていいでしょう。実家をどうしようか、と。同時に、誰かに貸すのもいいし、売り払ってもいいと、あまり感傷に浸るまいとも自分に言い聞かせました」

 

関根さんにも関根さんの兄にも、現在の住まいを離れ、故郷に戻る選択肢はなかった。

「兄と相談し売却することにしました。こういうとき、頼りになるのは故郷の友人です。地元で不動産会社を営んでいる高校時代の友人にワケを話したら、快く引き受けてくれました。『あなたの家は広いし、買い物にも便利。駅からも近いからなんとかなるだろう』ということでした」

 

実家の年間の固定資産税は十数万円。ただし、それを見たところで家がいくらで売れるのか見当もつかない。

「高く売却できればそれに越したことはないのですが、友人頼みというか、友人の言い値で売っていいという気持ちでした。そんなに辺鄙な場所ではないとはいえ、不動産の売買が活発な地区とも思えませんでしたから。兄もそれでいいということでした」

 

友人から電話がかかってきたのは、父親の納骨からおよそ5か月後のことだった。

「友人は買い手が見つからなかったら、自分が購入してアパートにしてもいいと考えていたようです。結局、美容師をしている子どものためにその親御さんが購入してくれることになり、美容室に改装することになったようです。母屋は古い家屋ですが、道路に面した2階建ての離れは比較的新しく、取り壊さなくても美容室に改装できる、というのが決め手になったそうです。価格は1200万円。不動産の仲介手数料は基本料6万円に価格の3%というのが標準だそうですが、友人はそれも少しまけてくれました。『いい物件を持っていた両親に感謝しなくちゃね』と友人に言われました」

 

母に先立たれた父、同居を断りひとり暮らしを続けていたが寂しさからか認知症が進行

 

関根さんは、茨城県出身。茨城県でも場所によっては、東京への通学・通勤は可能だが、太平洋に近い関根さんの実家からでは通学は無理ということで、進学と同時に上京した。

結婚から数年後には、現在の地にマンションを購入。以来、今日まで千葉県民を続けている。1男1女の母親であり、孫も2人を数える。1人いる兄は山梨県在住だ。

 

関根さんの実家が空き家になったのは、ひとり暮らしをしていた親が、介護施設に入居したためだ。親が亡くなって空き家になる例も多いが、介護施設への入居によって空き家になるケースも少なくない。関根さんの場合は、先に亡くなったのは母親。ひとり残されたのは父親である。

 

関根さんの両親は、同じ職場で知り合い、その後、結婚。関根さんの父親は3人兄弟の一番下だったことから、実家から独立してマイホームを構えることになる。その家こそ、関根さんと関根さんの兄にとっては、生家であり実家である。

 

「両親は同じ歳。存命であれば、もう90歳を超えていますね。私が上京してからは、ふたりきりの生活。定年退職後は、父親は書道、母親は音楽などの趣味を楽しみ、国内を中心に旅行にもよく出かける生活を送っていたようです」

そんな生活が暗転するのは1991年。母親が病に倒れ亡くなってしまったのだ。

 

第2話に続きます