私の「親家片」体験

「母が30年間暮らした一軒家から 35㎡の1LDKに」 第3話 ~モノの多さに途方に暮れながらも続けた親家片~

モノの多さに心は爆発寸前。不安で眠れない夜もあった
山口福子さん(仮名) 東京都・54歳

「私が結婚した直後に、終の棲家として、両親はその家を購入したんです。大人二人の暮らしでしたが、収納場所が多いんですね。納戸や押入れ、物置などにモノがぎっしりと詰め込まれていました」

新しい生活のために何を持っていくか、何を置いていくか。選択しなくてはならなかった。リミットは2カ月後。ほとんど秒読みである。

 

「体調が完全ではない母ひとりで、引っ越しとモノの処分はとてもできるものではありません。私は、仕事の合間を縫って東京から福岡に通い、片づけを手伝いました」

毎週というわけにはいかなかったが、土日を利用し、有給休暇もとって、福岡に通った。

「今思い出しても体中に重い疲労感がよみがえる、大変なものでした。問題は、父と母が30年間暮らした家にぎっしりと詰まった家財道具の処分でした」

 

いつ終わるのだろう……。でも、やらなきゃいけない

食器や鍋、調理道具、客用の布団や座布団、母の服やアクセサリー、バッグ類、趣味の編み物の毛糸や歌のテープ、ガーデニング用品……。庭の物置には、餅つき用の杵やうすまであった。

「どこから手をつけていいのか途方に暮れました。ある晩、実家の座敷で休んでいると、夜中にふと目覚めて、本当にこの家にあふれているものをすべて片づけて、引っ越しできるのだろうかと、底なしの不安に押しつぶされそうになったこともあります」

 

しかし、やるしかない。山口さんは心を奮い立たせた。

「やるべきことを紙に書き出して、粛々とこなしていきました」

いとこ夫婦にも力を貸してもらった。

「本当に助かりました。いとこ夫婦が車に不用品を山と積んでいってくれたんです。いとこはそれを自宅の地域のゴミの日に出してくれました。一日に3回も4回も実家と往復してくれたんです」

朝子さんも体調が悪い中、がんばって必要なものと不用品を分けた。

「東京に戻っているときも、毎日、母とメールで片づけの進捗状況を確認し合いました」

“きょうはどこを片づけた?”

“台所。でもまだ半分も終わっていない”

“惜しいと思っても、絶対に必要なもの以外は残さないで”

“思い出があるんだけど……”

“思い出は心にしまっておけばいいでしょ。これからまた東京で思い出をつくろうよ”

 

心を痛めながらも続けた、母の新生活のための「親家片」

「ダイニングテーブル、ソファ、ベッド、和室のテーブル、箪笥、食器棚、サイドボードなど、大きな家具の処分は引っ越し業者に委託しました。調理道具の数の多さには、あぜんとしました。フライパン6つ、行平鍋3つ、やかん3つ、圧力鍋、土鍋、おでん鍋、すき焼き用鉄鍋、ホットプレート、多重構造鍋の6個セットなどなど、鍋だけでも山ほどありました。結婚式の引き出物でいただいた食器類もたくさん。引き出しの中には、箸、箸置き、スプーン、フォーク、ナイフ、ストロー、マドラー、ふきんなどがあきれるほど詰まっていました」

5LDKから35㎡への引っ越しである。モノはほとんど持っていけないに等しい。

「母が捨てる決心がつかないものもたくさんありました。でも、時間は限られています。迷っているひまなどないとばかり、“こんなものいらないでしょ”と情け容赦なく私が捨てたこともありました」

それもこれも、新しい朝子さんの生活がモノに圧迫されたものであってはならないと思ってのことだった。

 

「いちばん心が痛んだのは、母と父が子犬のときから大切に育てた愛犬シマとの別れでした。シマは、いとこ夫婦が引き取ってくれました。母がずっと運転していた車も、いとこが引き受けてくれました」

第4話(最終話)に続きます


2014/07/19 | キーワド: , , , , | 記事: