私の「親家片」体験

大変だったけれど、介護も親家片も生きる力になった 第2回 ~父と母の思い出の品だけを残し、土地の売却を決意~

父のホームに通った2年間が私の宝物に
川島久代さん(仮名) 52才・神奈川県

 

ホームでの生活に慣れてきた3カ月後、母が急逝しました。

突然ひとりきりになった父ですが、スタッフのサポートもあって、その後2年近く、マイペースで暮らしました。依存心の強い父はホーム暮らしに合うに違いない、という私の読みは間違っていませんでした。私はほぼ毎日、父の部屋に通いました。20~30分しか滞在しない日も多く、軽い会話を交わす程度でしたが、この時間をもったことで、若い頃は苦手だった父との関係が変わったのです。

 

父の本心にふれ、父から頼られ、新たな関係を築くことができ……私にとって「宝物」と思える2年間です。

 

実家はその間、無人家の状態でしたが、ご近所のかたには事情を話し、私も月1~2回は風を通しに通っていました。父から「たまに帰りたいから、そのままにしておいてほしい」と言われていたのですが、出不精の父は結局一度も帰りませんでした。

 

ネズミの痕跡を見て、無人の実家の売却を決意

 

父が亡くなって私が実家を相続し、親家片が私の肩にかかってきました。すぐには着手できず、本格的に動き出したのは父の一周忌の直前です。

 

きっかけは、押入れの布団の上にネズミのものと思われる糞を見つけたこと。もう限界だ! と覚悟し、帰りに地元の大手不動産仲介会社に直行。築40年以上の家は解体し、土地だけの売却をすすめられました。その際に、家財道具などは同時に処分できると言われました。

 

幸いにもすぐに買い手が見つかり、先方の都合もあってかなりタイトなスケジュールが組まれました。でも、だからこそ、迷うひまもなく進められたのだと思います。

 

人生の最期にものはいらないと両親の姿を見て学んだ

 

私自身、若い頃から実家への思い入れは少なく、ものにもあまり固執しないタイプです。また、両親のホームでのシンプルな暮らしを垣間見て、「人間、最期はものはいらない」と実感していました。

 

読書が大好きだった父の膨大な蔵書は古本屋さんに出張買い取りを依頼し(二束三文でした)、母の着物はデパート内のリサイクルショップに持ち込みました。

それ以外の衣類は地元の日赤に寄付。写真は節目のものだけを数枚ずつピックアップしました。

 

私が手元に残したのは、友人から「絶対に処分しないほうがいい」と言われた桐箪笥と母の古い腕時計、父の趣味の短歌関係のものだけ。

箪笥は業者にリフォームと磨きをお願いし、上部を仏壇置きに。今、わが家のリビングに鎮座していますが、両親をとても身近に感じています。

 

また、父の何十冊という短歌ノートは段ボールに入れてありますが、いつか歌集にまとめたいと考えています。数十年分の手書きノートからはぬくもりが感じられます。短歌関係の本は、短歌仲間のかたたちに持っていってもらいました。それ以外のものはすべて処分しました。

 

親家片で疲れ果てる人が少なくないようですが、私がそうならずにすんだのは、業者にある程度まかせたことが大きかったと思います。両親のことをそれなりに心配してくれていた親戚も、親家片に関してはノータッチで、お伺いを立てる相手がいなかったことは、私にとっては気楽でした。無人家を抱えているストレスは想像以上に重く、手放したときには、心からほっとし、肩の荷がおりました。

 

両親の老いを目の当たりにして、いろいろ学びました。しんどいことも多かったですが、人生に無駄なことはないのですね。自分たちの今後を考える転機にもなりました。父との関係が改善したこと、夫がサポートしてくれたこと、同じ境遇の友人が周囲にいたことも大きかったです。

(完)