私の「親家片」体験

怒濤の1週間で遠方の実家を片づけ、実母との同居生活へ 第2話 ~家の片づけと認知性が出始めた母の引越しをひとりで行う~

選別する間もなく親家片。残したものは、ほんの一握り
富田美紀さん 茨城県・54才 

 

 

ガンで闘病中の父に、「お母さんのことは心配しないで」と約束した富田さん。父が亡くなったら、母を茨城の自宅へと連れていくと決めていた。

父と母が過ごした釧路の実家は、借家として賃貸に出すことに。葬儀の支度、実家の片づけ、そして母の引っ越し……。目が回るような1週間が始まった。

 

「釧路にいられるのは1週間だけ。自分で片づける選択肢はありませんでした。どうしても持っていきたいものだけを急いで箱詰めし、あとのものは業者の方に処分をお願いしました。茨城に送るコンテナに入れた家具は、私が小学校のときからずっとわが家にあったサイドボードと母のベッドだけ。タンスやお気に入りのカップボード、ピアノもすべて置いてきました。

 

母の着そうな服と、大事にしていた着物、私が小さいころのアルバム、父の剣道の賞状。持ってこられたのは、そのくらいです。じっくり選別する余裕もなかったため、『アルバムは1冊でいい』と、普段の私だったら考えられないようなジャッジも。写真もずいぶん捨てました。

 

今振り返ると、あんなに潔く捨てなくてもよかったかもしれない、という思いもあります。写真や思い出の品は、一度捨ててしまったら、二度と戻ってきませんから」。

 

そんな胸の痛みを感じる一方で、ていねいに選別する時間がなかったからこそ短時間でやりきれたのだ、と納得もしている。

 

母への気持ち、自分の思い……ものを通じて考えさせられたこともある

 

「母は少し認知症の症状が出ていましたから、捨てるもの、持っていくものの判断はすべて私ひとりでやりました。『母に必要かな』『これがあれば喜ぶはず』そんな気持ちで選びましたが、でも結局は、自分自身の執着や思いしかなかったのかもしれません。サイドボードを持っていくことにしたのも、家族の思い出が詰まっていると考えたから。でも母は「あら、これ持ってきたの?」なんて、なつかしむ様子もないんです(笑)。

 

ものに思いはないのに、人がそこに思いを込めてしまう。母のためにと持ってきたものも、私の思いだったんだなと気づかされました。

でも『処分するしかない!』と思い切るしかない状況で、じっくり考える間もなかったからこそ、多くのものを手放せた。私自身、ものへの執着が少なくなったようにも思います」

 

処分業者は、賃貸の管理業務を依頼した不動産屋さんの紹介。「残ったものはすべて処分して」とお願いした。食器棚にはまだ食器がおさまったまま、カーテンもかかっていて、まだ人が住んでいるような状態で引き渡したという。ただ、ピアノは業者も運び出すことができず、「ピアノも使ってくださる方、歓迎」という条件で貸し出すことに。

 

また、親しくしていた近所の方に「何か使えるものがあったら、持っていって」と声をかけ、きれいな布団や父の衣類などを引き取ってもらった。父が大事に育てていた椿の鉢植えは、富田さんの従姉妹の元へ。今では庭に地植えされ、毎年きれいな花をつけているという。

 

こうして怒濤の1週間が終わり、予定通り、富田さんは母と茨城の自宅へと戻った。

 

 

(第3話へ続きます)

 

 

取材・文/浦上藍子