私の「親家片」体験

怒濤の1週間で遠方の実家を片づけ、実母との同居生活へ  第1話 ~父を看取り、実家を1週間で片づける~

飛行機で自宅と実家を往復。介護と看護に通う日々が始まった
富田美紀さん 茨城県・54才 

 

北海道・釧路に住む父から「何やら大変な検査をしないといけないらしい。一回帰ってこれないか?」と電話があったとき、富田さんはピンときたという。

 

「おそらくガンだろうと思いました。病院に電話をかけ、無理にお願いして父の病状を教えてもらうと、やはり……。私は茨城に住んでいて、教員をしています。そのころはちょうど年末の忙しい時期で、すぐ釧路に駆けつけることもできず、片っ端からガンに関する本を読みあさりました」

 

検査の結果は、かなり進行した下咽頭ガン。手術もできなくはなかったが、父はそれを望まなかった。母は元気だけれど、少し認知症が出始めている。

 

茨城から釧路へ、看護と介護に通う日々が始まった。

 

葬儀の手配と引っ越し業者探しを並行して進める

 

「毎月、飛行機で通いました。航空会社の介護割引を使い、金曜の夜、仕事が終わったら飛行機に飛び乗り、土日を釧路の実家で過ごして日曜の夜、茨城に戻ります。末期がんと言われた父は代替療法などで一時は元気を取り戻し、医師の余命宣告よりも長く頑張ってくれました。亡くなる前の2カ月間は入院しましたが、それまでは自宅治療で穏やかな日々。母は父の病気を受け入れられなくて、不安感が強くなってしまいましたが……、ヘルパーさんやデイサービスの力を借りながらも、父と母が自宅での日々を過ごせたことは何よりでした」

 

昔気質の国鉄マン。晩酌と剣道が好きな優しい父は、8月の終わりごろ静かに息をひきとった。

 

「お父さん、もう頑張らなくていいよ。お母さんのことは私がちゃんと見るから安心して。そう声をかけた瞬間に、私の右人差し指と中指から父の脈の鼓動のかすかな触れが消えていきました。静かな旅立ちでした。」

しかし悲しみにひたる間もなく、そこから富田さんの怒濤の1週間が始まる。9月からは2学期。夏休みの間にすべての手続きを終え、母を茨城の自宅に連れていく、と心に決めた。父の葬儀の手配をしながら、今すぐ引っ越しを受けてくれる業者探しも並行してスタートした。

 

「ガンというのは幸せな病気かもしれません。家族も本人も死への覚悟ができますから。私の場合、父が存命中から『万が一のことがあったらこうする』というシミュレーションをしていて、社会保険庁で年金について問い合わせをしたり、釧路の家を賃貸に出すために不動産屋さんに相談したりと、できることは進めていました。

父とも話をして、母のことや家のこと、お墓のことなど父の希望を聞きました。そのせいか、不思議なことに亡くなった直後は、まだ父と話ができているような感覚があったのです。葬儀にお越しいただく方への連絡、戒名のこと……何も迷わずに決断できたのは、父が私に指示をしてくれたからじゃないかな、なんて。泣き虫でひとりっ子の私が、涙ひとつこぼさずテキパキと動けたのは、すぐ隣で父が『頑張れよ』と支えてくれていたおかげ、という気がしてなりません」

 

第2話へ続きます

 

取材・文/浦上藍子