私の「親家片」体験

80代半ばの義母、ひとりですべてを片づけた 第2話 ~隣家の解体を機に、息子夫婦との話し合い~

最後まできちっと生きたいと、身ぎれいに暮らした義母
宮田恵子さん 東京都・56歳

 

なぜ、祥子さんはこれほどまでにきちんとモノを処分して、人生をたたむ準備をすることができたのだろう。

「義母はひとり暮らしがすごく長かった。身ぎれいに暮らすということを、いちばんに考えていました」

 

祥子さんは愛媛県の生まれ。20歳で広島に嫁ぐが、3年後に夫は結核で亡くなった。子どもがいなかったので、祥子さんは再び実家に戻る。そして39歳で再婚した。
「それが夫の父でした。義父もまた前妻を病気で亡くして、ともに再婚だったんです」

夫は54歳。15歳年上だった。そして結婚1年目に男の子に恵まれる。恵子さんの夫・芳夫さんだ。芳夫さんが東京の大学に進学して2年後、義父はがんで亡くなり、祥子さんはひとり暮らしに。60歳だった。

 

「母の住む町は昔ながらの濃密な人づきあいがあり、それを母は楽しんでいました。料理が好きだったので、ちょっと多めにおかずを作っては、近所に住むひとり暮らしのお友だちに毎日届けたりもしていました。俳句が趣味で、3つの会に入っていたんです」

芳夫さんは大学卒業後、東京で就職し、結婚。祥子さんは年に一、二度、芳夫さん家族が帰省するのを楽しみにしていた。

 

「義母の母は102歳まで元気で、たらいで自分の下着を洗濯していたときに、コトッと亡くなったんだそうです。だから義母は、自分も、最後まできちっと生きたいとも言っていました」

 

ショッキングな隣家の解体風景。それを機に息子夫婦と話し合う

実家の隣家が解体されたのは、義母が80代半ばのことだった。

「親しくしていたひとり暮らしの女性が亡くなって、家を継ぐ人もいないというので、家を解体したんです。隣ですから、重機が入った途端に、がれきの山と化すその一部始終を義母は見ることとなりました。相当、ショックだったようです」
その夏に帰省したとき、祥子さんは「将来、こちらに戻ってくる可能性はあるか」と息子夫婦に改めて尋ねた。

「夫は“ないと思う”と答えました。地方に帰っても仕事はありませんし、長年東京で暮らしているので、親しい友人や知人は愛媛にはいない。子どもたちの将来の住まいも東京が起点となるでしょうから」

 

祥子さんは重ねて尋ねた。そうしたら、自分が死んだあと、家はどうするのか。お盆と正月の2回くらいは愛媛に戻って墓参りをしてくれるのか。それならこの家を残して使ってはどうか、と。

芳夫さんは、率直に答えた。「田舎に帰るのは、お母さんがいるからであって、墓参りのためではない。お母さんが亡くなったら、帰省する回数はもっと減る。墓参りだけのために年に2回も帰れない。この家を持ち続けるのは現実的ではない」と。

「義母が家を片づけ始めたのは、それがきっかけだったように思います」

 

第3話へ続きます