私の「親家片」体験

相続権はないが兄嫁に遺産の一部を譲る 第2話 ~父が亡くなり、すべての財産は母親名義に~

家業の運送業を兄が継ぐが
どうにか軌道に乗りかけた矢先に死去 舘野恵子さん 東京都・57歳

 

館野さんの実家は北海道。館野さんは高校卒業と同時に都内の美術系大学に進み、卒業後に東京で結婚。2人の子どもをもうけた現在も、デザイン関係の仕事を続けている。

 

実家はトラック2、3台の小規模運送業。それに自家製味噌の製造も手がけ、貸家も2軒持っていた。実家の敷地は約700㎡。小規模ながら運送業を営んでいたことから、道路に面した土地は駐車場になっており、2階建ての母屋は奥まったところにある。その奥には味噌製造の小屋がある。実家の隣にもおよそ250㎡の土地があり、古くからの借家人の住まいとなっている。

 

20年前に父親が死去。その後は、館野さんの兄と兄嫁、そして母親の3人暮らしだった。
「兄の死も突然でした。入院して2週間もしないうちのことでした」
息子のあまりにも早すぎる死。やっと家業の運送業にも見通しが出てきて、さあこれからというときだった。館野さんの母親の悲しみが大きかったことは容易に想像がつく。

 

「兄は父が亡くなったころは真面目に仕事に打ち込むようになっていましたが、ちょっと人生を踏みはずした時期があり、母はまだ本心から安心できなかったのでしょうね。父が亡くなったあと、兄に相続を放棄するように言ったんです。私にも相続放棄させました。それで、不動産を含めてすべての財産が母親名義になっていたのです」

 

いずれは兄に家の財産を譲るつもりだったが……

 

母親としては、終戦後に夫婦で苦労して作り上げた事業や財産を息子の放蕩で失うようなことはしたくなかったのだろう。また息子の仕事ぶりや生活の様子を見て、いずれの機会に生前贈与という形で譲るつもりでもいたようだ。

ところがその息子が早世してしまったのだ。跡継ぎを失い母親もショックだったのだろう。長男である兄の死後、佐藤家では運送業をたたんでしまった。以後は、兄嫁と母親がもうひとつの家業である味噌の製造と、貸している土地から入る地代で生計を立てることになる。

 

兄の相続はどうだったのだろう。館野さんはこう言っている。
「兄の相続については、私はまったくタッチしていません。以前が以前だけに、母親は兄に隠し子でもいるのではないかと心配したようですが、幸いなことにいなかったようです。不動産は母親の名義ですから、兄の遺産といっても預貯金や死亡保険金ぐらいのものだったでしょう。それを義姉と母親でどう分配したのかはわかりません。規模は大きくありませんが自営業でしたから、借金もあったのではないかと思います」

配偶者である兄嫁には、兄の財産の3分の2を相続する権利がある。しかし、父親の相続を放棄しているので、財産は自分自身でつくったものだけ。そう大きな金額ではなかっただろう。ちなみに館野さんの兄のように子どものいない場合の相続は、配偶者と親で故人の財産を分けることになる。相続では配偶者を別格として、縦の関係(親子関係)が優先されるので、館野さんの兄のケースでは母親も相続人ということだ。

 

第3話へ続きます