私の「親家片」体験

母を自宅に引き取り、同居しながら片づけ 第2話(最終話) ~1回12時間かけての親家片、ゴミ袋は200袋にも~

「なんとかなる」と言い続けた母がうとましい。
協力しなかった妹や弟にも恨みが残った
櫻井誠子さん 神奈川県・70歳

 

朝6時から毎日12時間、片づけまくった。けんかして家を出た妹はもちろん、兵庫県にいる弟も仕事が忙しいからと顔を出してさえくれなかった。
「夏は、壊れていたクーラーをとり外した部屋で、ひたすら捨てまくりました。汗が滝のように流れてあせもになり、あせものことを考えるだけで全身がかゆくなって、ほとんどノイローゼみたいになってしまいました。帰宅後、医者にかかって薬を処方してもらったりして……。食事はお弁当や出前でまかないましたが、お店の休業日は本当に困りました。残っていた餅2個でがまんしたこともあるし、近所のかたからみそ汁を差し入れていただいたこともありました」

 

不用な衣類や書類を詰めた燃えるゴミの大袋は、合計約200袋にも。
「地域のゴミ収集の日に、ゴミ袋を何十袋も出しました。とてもひとつのゴミ集積所には置けなくて、5カ所に分けました。親戚が1トントラックで5往復し、小さめの家具などを引き取って、燃やしてくれたりもしました」

 

電化製品の一部は、近所の人が引き取ってくれた。
箪笥11棹、下駄箱2台、食器棚2台、冷蔵庫2台、エアコン、テレビ、仏壇、テーブル、椅子などなど、大きな家具の処分も大変だった。

「市のゴミ回収の4トントラックを延べ3台と粉砕車を頼みました。目の前で仏壇がこなごなになって粉砕車にのみ込まれていくのを見たときはせつなくなりました。生前、父が大切にしていた賞状や銀杯も捨てました。そのほか、回収業者に、鍋、やかんなどの金属類や本などを引き取ってもらいました」

 

江戸指物師だった祖父の作った茶箪笥や座卓、母親の着物、母親が描いた色紙や掛け軸は、処分するのはしのびなく、櫻井さんの家に送った。
「結局、押入れ2つ分の荷物がわが家に来ました」

 

片づけの最終日、誇りに思っていた母を思い、涙がこぼれ落ちた

 

片づけが終わったのは06年3月。
「事務手続きを含め、すべてが終了したその日、最後に畳をふきながら涙がとめどなく流れました。若い頃の母は働き者でした。和裁の腕がよく、呉服店の仕立て仕事をしていたんです。年をとり、和裁の仕事をやめてからも、絵を習っていました。絵心があるようで、展覧会で何度も賞をいただいたりもしていました。私はそんな母を、誇らしく感じていたんです。でも、片づけや料理は苦手だったんですね。

私は以前から、母にモノを少し減らしたほうがいいと言っていました。でも母は“なんとかなる”と言い続けて、現実と向き合おうとはしませんでした。片づけから7年たった今も、母の顔を見るのもいやなときがあります。誇りに思っていた母をうとましく思うようになってしまいました」

 

妹や弟に対しても、不満が残った。
「いつもなんとかするのは長女の私。自分たちが“できない”と言えば、私がやってくれると思っている。それがどんなに大変なことであっても。妹や弟たちに対しても、すべてを押しつけられたという恨みが残りました」

 

今、櫻井さんは自分の老前整理に力を入れている。
「子どもたちにきらわれ、うとまれるのだけはいやですから」

 

(完)