私の「親家片」体験

モノであふれる認知症の両親の家  ~モノに手をふれられることさえいやがった母~

歩くことができないほどモノがあふれていた実家を弟と片づける
天野昌子さん 東京都・66歳

 

「実家の近くに住む弟から、両親の様子がおかしいと連絡があったのは2000年のことでした」

天野さんは結婚を機に山口県の実家を離れ、東京に住んでいた。当時は子どもの受験などで忙しく、実家に戻るのは3年ぶりだった。

「実家に帰って、ぼうぜんとしました。家の中は畳が見えないほどモノであふれかえり、まともに歩くこともできないほどでした。父母ともに認知症が始まっていたんです」

だが片づけようとすると、母親は自分のものにさわられるのを極端にいやがり、怒り出す。

「その時点では本格的な片づけができませんでした。父と母が家の中で転んだりしないように、モノを移動させただけで終わりました」

 

山のように出てくるモノの処分に2年を要する

2005年、父親が亡くなり、その翌年の1月、母親が老人ホームへ入った。

「それから弟とともに片づけに着手しました。でも、私も仕事をしていたので2〜3カ月に一度しか帰れません。結局、2年近くかかってしまいました」

両親の居住スペースだった6畳と8畳の和室には、山のようにモノが積み上げられていた。おまけに家じゅうがカビくさく、風を通さないと廃屋同然になってしまいそうな状態だったという。

 

まず、燃えるゴミと不燃ゴミに分け、大きなゴミ袋にどんどん詰めていくことにした。そのゴミ袋は、ゴミ収集日に弟に出してもらった。またその地域では、手数料を払えば市のゴミ処理場へ持ち込みができたので、軽トラックで弟に運んでもらったことも。食器や瓶類なども、不燃ゴミの日にまとめて出してもらった。

「父はカメラが趣味でした。それで写真が山ほど出てきました。これらはいまだに捨てられず、段ボールに詰めてとってあります」

新品の急須や箱に入ったままの新品のハンドバッグが何個も押入れから出てきた。未使用の座布団セット、新しい布団もあった。すべてカビくさくなってしまっていた。銀行などでもらったと思われる粗品のタオルなども山のように出てきた。

「全部、処分しました」

家具は業者に頼んで処分してもらった。

「ある程度片づけがすんだ2007年、畳も全部とりかえ、今は弟一家が住んでいます」

 

月日がたち、親家片を体験したからわかることもある

だが、あれから6年たった今でも、片づけのことを思うとため息が出るという。
「本当に疲れました。でも今、私も66歳に。母は体が思うように動かなくなって、何でも手近なところに置くようになったんだなってわかる気もするんです。認知症もなりたくてなったわけではないし、母がそんなふうに生きるしかなかったのも仕方がなかったのかもしれない、と思ったりします。体が動くうちに本当に必要なものと、そうでないものを分けて、処分しておかないといけないと痛切に思います。とはいえ、人間、生きているうちはモノもたまります。なかなか捨てきれないのも事実です」

 

(完)