私の「親家片」体験

両親の家を姉と二人で片づける 第1話 ~モノから伝わってきた母の愛~

片づけようとしても、ゴミ袋から拾ってきてしまう母。存命中は何ひとつ手をつけられなかった 川村のぞみさん 熊本県・67歳

 

「25年前に父が亡くなり、5年前の夏に母が旅立ちました。兄たちは遠方に住んでいるため、姉と私の二人で実家を片づけました」

父親が亡くなったあと、川村さんは姉とともに家の整理をしようとしたことがある。

 

「でも、母は“これは……、これも……”と捨てるのをいやがりました。ゴミ捨て場に持っていった品を、母がそっと家に持ち帰るほどだったんです。これには私も姉もショックを受けました。私たちにとっては単なるものであっても、母にとっては家にあるものは、自分が生きてきた日々の証であり、思い出が詰まった品々だったのです。それで、母が存命中は家の荷物に手をつけず、そのままにしておいたんです」

両親は明治生まれで戦争体験者。モノを粗末にしない「もったいない世代」だった。

 

「母が残したもので最も多かったのが着物でした。母は和裁の先生をしていたんです。母がいちばん好きだった服や着物は、お棺の中におさめました。上等なものや状態のいいものは、体型の似ている伯母や義姉、実の姉と分けました」
残りの着物は寄付したり、リサイクルショップにも持っていったりした。

「でも、リサイクルショップはひと山650円という二束三文の値段。母の気持ちを思うとせつなくなって、1回きりでやめました」

 

箪笥などの家具類は、知人に車を借りて、ゴミ焼却場へ直接運び、500円のシールを貼って粗大ゴミとして出した。ベッドなどは、「何でも引き受けます」という不用品回収業者に大型トラック1台分1万円で引き取ってもらった。
「古い小さな箪笥や火鉢などの骨董は私の家に持ってきて、和室に置いたり、庭で蓮の花を育てるのに使って楽しませてもらっています。靴や下駄も、サイズが一緒だったので、私が引き取りました」

 

娘の給与明細、手づくりのプレゼント……母への思いがこみ上げる

思わぬものも見つけた。

「私の小・中学校時代の絵画、お習字、通知表や日記などを、母は箱に入れて大事にしまっていたんです。自分は両親に愛されていたんだなぁ、大切に育ててくれたんだなぁと改めて胸が熱くなりました。私が公務員をしていた頃の給与明細までありました。共済年金の受給申請の際、その書類が証明となって、少額ですが年金をいただけることに。母の最後のプレゼントだったような気がしました」

 

娘時代、川村さんが母・美智子さんの誕生祝いに贈ったケープも見つかった。髪をとかすときに肩にかける手作りのケープ。川村さんが添えた手紙とともに箱にしまってあった。
「手芸が苦手な私が一生懸命作ったもので、母は“もったいない、もったいない”と宝物のように扱っていたんです。そして“のぞみちゃんが作ってくれましたのよ”と誰にでも見せて喜んでいました。箪笥の引き出しから出てきたときは、あの頃の母に出会ったような気がして思わず大泣きしてしまいました」

 

だが、夏の暑さの中で、介護疲れも癒えぬままスタートせざるを得なかった片づけは予想以上にこたえたという。

 

第2話へ続きます