私の「親家片」体験

母を自宅に引き取り、同居しながら片づけ 第1話 ~仕事をしながら足かけ3年の親家片~

母は当座必要なものだけを持って引っ越し。家まるまる1軒分の荷物が残った
櫻井誠子さん 神奈川県・70歳

 

櫻井さんは教員として、65歳まで勤め上げた。「20代から40代までは、仕事と家事・育児に駆け抜けた日々でした。体力的には大変でしたが、仕事は緊張と生きがいを私に与えてくれたと思います」
東京で暮らす櫻井さんの故郷は富山。両親は富山で二人暮らしを続けていたという。「40代の頃から、仕事の休みの時期を利用して年に3〜4回、約3日間ずつ手伝いに通っていました。シーツや布団カバーを洗濯し、物置を片づけ、不用な箱や書類を処分し、掃除と整理をして……」

父親が亡くなったのは2002年のことだった。
「父の死後、妹が母と同居してくれたのですが、猛烈な親子げんかの末、妹は家を出てしまったんです。ひとりになった母は、施設に臨時入所しました。けれどもその施設は短期入所に限られていて、長く暮らすことはできません。兵庫県に住んでいる弟にも相談しましたが、母を弟宅に引き取るのは無理と言われました。それで、その秋、私が引き取ることになりました」

当時、母親は82歳、櫻井さんは62歳だった。

「私はまだ仕事をしていましたので、休みを利用して富山に戻り、引き取る準備を進めました」

まずは、母親の当座の生活に必要なのものだけを櫻井さんの自宅に送った。

「モノが多くて、この家を片づけるのは大変だろうなと、そのときから不安に感じていました」

 

6ヶ所ある物置にはモノがぎっしり。雑誌と新聞でトラック1台分にも

 

実家は借地で、大家さんからは家を完全に空にして戻してほしいと言われた。

そこで、母親との新しい日々がなんとか安定した03年の春から、櫻井さん夫妻は富山の実家の片づけにとりかかった。

「仕事をやりくりし、休暇を利用して毎回5〜6日間、夫と実家の片づけに取り組んだんです。夫は定年を迎えていましたので、本当に助かりました」
母をひとり、東京の家に残しておくことはできず、そのたびにショートステイに預けた。
家の片づけにかかった期間は、足かけ3年、延べ4回、二十数日間に及んだ。

 

「両親は、もったいないからと何でもとっておいていました。6DKの家には物置が6カ所もあり、そのすべてにぎっしりとモノが詰まっていました。私たちの中学時代の教科書やコート、30歳になった孫がかつて座った小さな椅子、週刊誌や雑誌、旅行のパンフレット、私からの手紙類、病院の薬の袋まで、きちんとたたんでしまってありました。不用になったじゅうたんも祖父母の衣類も、クリーニングした状態で出てきました」

 

母親は70代後半から足腰が弱くなり、2階に上がれなくなっていた。高齢のため探し物も苦手になり、足りなくなっては買い込んだらしいシャツや靴下類もあちこちからどっさり出てきた。2紙とっていた新聞も、手つかずのまま積み上げられていた。「新聞と雑誌の束だけで、回収業者のトラック1台分近く出ました。壊れたストーブも大切にしまってありました。ストーブ類は全部で6台も出てきました」

長持には新品の布団が10枚も入っていた。母親に尋ねると、第二次世界大戦中、軍隊が移動するときに兵隊さんが民家に泊まることがあり、そのために用意したものだということがわかった。

 

「私たちが帰省したときは、せんべい布団だったのに……。ここに布団があることを母はほとんど忘れていたのだと思います」

 

第2話へ続きます