私の「親家片」体験

義父が亡くなり、義姉と行った親の家の片づけ 第1話 ~義父母の一軒家がそのまま残された~

 親の家の片づけを通して義姉との絆がいっそう深まった
中村理佐子さん 神奈川県・55歳

 

「義父母は、わが家から電車で15分ほどの駅近くにある一戸建てに住んでいました。けれど8年前に義母が病気で亡くなり、そのときから義父は私たち家族と同居することになりました」

 

当時、義父・光太郎さんは82歳だった。夫・康夫さんは二人姉弟の長男。中村さん夫妻、当時に保育園に通っていたひとり息子、そして光太郎さんの4人暮らしになった。

「義父はとても元気で、息子の保育園の送り迎えもすすんでやってくれました。義父との同居に全く抵抗がなかったと言うとうそになりますが、義父は明るくほがらかで、息子もなつき、共働きの私たち夫婦の大きな戦力になってくれたんです」

 

中村さん宅での光太郎さんの部屋は6畳一間だった。それまで光太郎さんが住んでいた家は4LDK。そこで義父の家はそのまま残しておき、必要最低限の洋服や小物だけを持って、中村さん宅に引っ越したという。

「向こうにお友だちもいるので、週末には、義父は自分の家に戻り、庭仕事をしたり、お友だちの家を訪ねて将棋をさしたりしていました。狭いわが家にたくさんの荷物を持ち込まれても困るので、義父の家をそのまま残しておいてよかったと、そのときは思っていたんです」

 

認知症の症状が進み、自宅での介護が困難に……

しかし、2〜3年たった頃から光太郎さんは、自分の家に帰る回数が減った。やがて全く帰らなくなるように。

 

「階段を下りるようにガクガクッと義父は年々、老いていきました。そして89歳になった頃、認知症の症状があらわれたんです」

昔のことは覚えているのに、けさあったことは忘れている。やさしくおおらかだった性格が変わり、すぐに怒るようにもなった。子どもの名前を思い出せない。

認知症と診断され、投薬を始めてまもなく、光太郎さんは狭心症で倒れたという。幸い、命はとりとめたが、入院中に認知症の症状がさらに進み、退院時には目が離せない状態になってしまった。しかし、中村さん夫妻は共働き。子どももまだ小学生。家で介護するのは難しかった。

 

「近くに住んでいる義姉に頼んで、昼間、義父をみてもらいました。その一方でケア付きの施設を必死で探しました」

なんとか車で1時間のところにある介護付有料老人ホームを見つけ、入居できたという。光太郎さんはその3年後、肺炎を発症して亡くなった。90歳だった。

 

「義父母が暮らしていた一戸建ての家がそのまま残されました。片づけなくてはならないと思いつつ、お葬式、相続の手続きなどで、疲れがどどっと出てしまい、義父の家にまでは手をつけることができませんでした」

 

隣の家から「庭木の枝がこちらの庭にまで伸びてきた。雑草も伸び放題で、蚊などの虫の巣窟になっている。なんとかしてほしい」と苦情がきたのは2年後のことだった。

 

第2話へ続きます