私の「親家片」体験

親の家に移り、住んでいた家は賃貸に 第2話 ~夫の入院をきっかけに話し合いを重ねる~

同級生の「こっちに帰ってきたら」という誘い。最初は受け流すばかりだったが……  大塚幸子さん 東京都・58歳

 

「やっぱり、持つべきものは友達ですね。空き家になってからは、お寿司屋の友人や近所に住むもうひとりの同級生が、晴れた日に雨戸を開けて風を通してくれたり、郵便物の整理をしてくれました」

 

友人たちの協力を得ながら、実家の管理のため、父親の死後も東京の自宅と実家を行き来する生活を続けた大塚さん。

 

「寿司屋で親友や同級生と話しているうちに『あなたもこっちに帰ってきたら』と何回も言われるようになりました。最初は受け流すばかりでしたが、そのうちに実家の処分のことを考え始めると、売却しようにも恐らくいい買い手はつかないだろう、それなら、もし夫が承諾してくれるなら、実家に戻って暮らすという選択肢もあるかなあという気もしてきました」

 

父親の死後は、ゆっくり過ごす時間もできて、夫婦で植物園に足を向けたり、高尾山に登ったりした。箱根や伊豆方面にも足をのばした。

 

大塚さんが、小旅行の途中も、田舎の家をどうしようかと考え続けていたことはいうまでもない。売るにも田舎では買い手が見つかるかどうか。親友が誘うように、田舎に帰る、という選択肢も捨てきれない自分がいることにも気づき始めた。

 

そんなときのことである。大塚さんの夫は入院を余儀なくされたのだ。

「肺炎をこじらせて病院に行き、検査してもらうと脳梗塞の疑いもあると診断されました。夫はこの入院を機に、もうそろそろ仕事も引き際かな……、60歳を節目にセミリタイアしようかな、ということも考え始めたようです」

 

大塚さんの夫の会社は、60歳定年、その後65歳まで定年を延長することができるが、勤務スタイルにはいくつかの選択肢があった。毎日出勤も可能だし、週に何日か、あるいは月に何日か出勤する形も選べた。それでセミリタイアも想定するようになったのだ。

「当時、夫が今後のことをどう考えているのか聞いていたわけではありません。そこで一度はきっちりと話し合おうと思ったのです」

 

夫婦で話し合いを重ねる中で同意形成、東京の自宅を引き払い実家暮らしへ

 

大塚さんの夫は東京生まれの次男坊。舅姑は健在で長男夫婦と暮らしている。大塚さん夫婦には子どもはいない。

 

「現在の家は、①沿線、②駅からの距離、③戸建てかマンションか……といったように20項目程度の設問をつくり、話し合って決めました。何事も合意で決めようというのが、私たち夫婦のルールなのです。ただし、今回は私の田舎に住むか否かという選択なので、どう切り出そうか悩みました」

そんな大塚さんの雰囲気を察知したのだろう。大塚さんが切り出す前に、今後のことについて尋ねてきたのは夫のほうだった。

 

そのとき、大塚さんは、夫婦で大塚さんの実家に戻り一緒に暮らす、という考えがあることをはじめて明かした。大塚さん自身、実家暮らしを決断していたわけでもないし、無理に押しつけるつもりはなかったが、夫からは「栃木かあ……、さすがに都内まで通うのは大変だなあ」といった、やや戸惑いの言葉が出たという。

 

話し合いの流れが変わったのは、大塚さんの夫の病状が快方に向かい、再び旅行ができるようになってから。大塚さんの夫の趣味である鉄道撮影、いわゆる〝撮り鉄〟によくつきあうようになったころからだ。退院後のリハビリを兼ねて、青森県の三沢市と十和田市を結ぶ、十和田観光電鉄にも廃線前にふたりで出かけている。

 

「前々から私たちは会話の多い夫婦ですが、車中いろいろなことを話しました。そんな中で『田舎暮らしもいいかな』という流れになりました。夫は東京生まれですが、昔から田舎ののどかな暮らしにもあこがれている人でしたし、私の実家の近くにはSLが走る鉄道もあるので、それも好影響だったのかもしれません」

 

第3話へ続きます