私の「親家片」体験

親の家に移り、住んでいた家は賃貸に 第1話 ~週に数回、東京の会社へ出社する生活に~

夫の60歳の誕生日を機に東京の家を引き払い、空き家となっていた実家での生活を選択    大塚幸子さん(仮名) 東京都・58歳

 

都内にある現在の住まいを貸し出し、誰も住まなくなって空き家になっている実家で暮らすことを決めたのが大塚さんだ。

 

「10年間で何回、実家と往復しましたかね。1か月2回として年に24回、10年なら240回の計算になりますが、実際にそれくらい実家と行き来しましたね。今後、しばらくの間は180度様変わりです。これまでは実家に帰っていたのが、これからは実家から出かけるようになります」と大塚さんは言う。

 

夫の60歳の誕生日を機に、東京の家を引き払い、夫婦で一緒に大塚さんの実家に移り住むことを決めたからだ。夫は、リタイアはしないものの、1〜2週間に1、2日程度出社するだけになるという。

 

大塚さんの帰省が頻繁になったのは、実家に住んでいた叔母、母親、父親の3人が、2000年からの10年間に相次いで病に倒れたり、介護が必要になったりしたためだ。ひとり娘である大塚さんの負担は大きかった。

 

大塚さんの実家は、栃木県の芳賀地区にある。「益子焼」やサーキットの「ツインリンクもてぎ」などで知られる地域で、茨城県に隣接する。

「自動車の免許を持っていないので、電車を何度も乗り換えて実家と往復しました。都心から100㎞圏内といっても、新幹線や直通電車がないので時間がかかります」

 

看病や介護で気ぜわしい帰省。唯一くつろげる場所は、親友の寿司屋だった

 

大塚さんの東京の住まいは、東京都世田谷区。そこから上野駅に出て、JR宇都宮線の小山駅でJR水戸線に乗り換え、下館駅から真岡鉄道で実家に向かうというのが通常ルートだった。

 

「何回繰り返しても、最後の真岡鉄道に乗ってはじめて『やっと故郷が近くなった』と感じるものです。つくばエクスプレスが開業してからは、それを利用して途中駅で関東鉄道常総線に乗り換えて行くこともありました。いくつものルートがあり便利なようで、実は不便。実家は駅から5分と近いのですが、どのルートを選んでもドアツードアで5時間弱です」

 

そんな大塚さんが、実家の行き帰りで唯一ホッとくつろげる場所が、実家の最寄り駅前にあるお寿司屋さんだ。地元に残った親友の嫁ぎ先で、そこでひと息入れてから実家に向かうのが、帰省の際のパターンだ。

 

「実家に帰るのは、何かしらしなければならないことがあるためです。病院に付き添ったり、町役場に出向いて書類を受け取ったりと、わずか1泊でそれらをすませようとすると、気ぜわしくてなりません。それでまず寿司屋に立ち寄り、夜は夜で食事のためにまた出向き、集まった昔の友人とたわいもない話で盛り上がったりするのがいつものこと。そうやってストレスを発散していたのかもしれません」

 

それでも叔母、母親、父親の3人は、大塚さんの看病や介護の甲斐もなく相次いで亡くなった。

空き家になった大塚さんの実家は220㎡の敷地に、築40年の2階建ての家屋。かつては手入れが行き届いていた庭も、時の経過とともに、雑草が目立つようになっていた。

 

第2話に続きます