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生活研究家 阿部絢子さんの「親の家の片づけ」 第2回 ~あらゆる場所にモノだらけの実家~

妹と二人だけで親の家を片づけるのは無理だと判断。工務店に片づけの相談を

 

阿部さんの実家は、2階建ての年代物の借家。阿部さんは、改めて家の点検を開始した。

「持ち家にしたほうがいいんじゃないかと、家を買うことをすすめたこともあったんですが、父は家には愛着がなかったのか、面倒くさかったのかわかりませんが、“わしはこのままでいいっ”と言ってきかなかった。築90年くらいでしょうか。でも、昭和39年の新潟地震や平成16年の新潟県中越地震、そして2年前の東日本大震災でもびくともしなかった、しっかりしたつくりの家なんです」

 

1階は6畳間が2つに台所などの水回り、2階は弟の部屋と、妹の部屋だった6畳間の2つ。そして1階には、庭に面した廊下がある。

「向田邦子のドラマに出てくるような家です。窓はアルミサッシではなく木枠。借家だから古いまんまなんです。さすがに水回りがだめになって、母が60 代のときに、風呂場と台所をリフォームしたのですが、風呂場はきれいにしたものの、台所は改装途中でストップ。母が大工さんにお茶を出すのが面倒になって、もう来ないでくれと言ったんです。天井の古い板をはがしたところで。信じられないでしょ。そういうところが母にはあるんです。以来、20年以上、下地の板がむき出しになった台所で、母は料理をしていました」

あらゆる日用品が積み重ねられ、窓が見えない部屋も……

その台所はすっかり油まみれになっていた。

「たくさんの鍋や密閉容器がビニール袋に入れられ、棚の上に詰め込まれていました。さらに壊れた鍋の蓋、破れたざる、黒く焦げたやかん……。窓も開けずに、換気扇も回さずに料理をしていたためでしょう。すべてがドロドロ、ベタベタでした。あとは推して知るべし、です」

 

窓までたどり着けないほどモノがあふれた廊下、奥が見えない階段下の納戸、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた2階の押入れ、モノが前に積み重なって開けられない箪笥、モノの置き場になっている妹用のベッド。2階の階段の奥も、積み上げられていた荷物で窓が見えないほど。どこもかしこも、モノだらけだった。

花瓶、生け花関連の本、母親の古い洋服、父親の背広やネクタイ、妹や弟がかつて使っていたスキー、使われないまま古くなった(必要なときに探し出せずにずっと放置されたためと思われる)日用品の数々……。

「妹に電話をして事情を話し、こちらに来てもらい、二人で作戦を練りました」

 

片づけと同時に、古くて立てつけが悪くなっていた木製の窓はペアガラスのサッシにとりかえ、はがしたままの台所の天井や壁を新しく張ることにした。両方とも、すき間風の原因、ひいては冬の風邪の引き金となっていたからだ。ガタガタだった玄関の引き戸や壊れていた雨どいも直すことにした。ホースがぐちゃぐちゃにからまっていたガス管も、安全に利用できるように新しくしてもらうことに。この費用は阿部さんが支払うことにした。

「言い出しっぺの人が責任をとる。それでないとおさまらないと思って。父がやらなかったことを、私がやることになったんですね」

限られた時間での親家片。工務店の力を借りることに

家の中を見て回った妹さんも、ぼうぜん自失状態だったという。

「妹と話して出した結論は、二人だけではこの家を片づけられないということでした。私も妹も実家の近くに住んでいるわけではありません。生活の本拠地が違うので、短期決戦でやるしかないわけです。そこで台所工事を途中でストップした工務店に事情を話し、片づけの手伝いをしてもらうことを決めました。私の場合は、工務店が引き受けてくれたのでトントンと話が進みましたが、こういう業者は横のつながりもあるので、そこがだめでも別の片づけ業者を紹介してもらえるのではないかと思います」

 

工務店にはそれぞれの費用の見積もりも出してもらった。

この段階で、トミさんの入院がきっかけで家を片づけることを決心した8月から、約1カ月。残暑もやわらぎ、時折涼しい風が吹く9月中旬になっていた。

「母の退院も10月に決まりました。それで9月末に片づけを決行することにしました」

第3回に続きます

 

阿部絢子(あべあやこ) 生活研究家 消費生活アドバイザー

1945年、新潟県生まれ。共立薬科大学卒業。薬剤師として洗剤メーカーに勤務後、雑誌ライターを経て、生活研究家に。消費生活アドバイザー、大学講師、薬局でのパート勤務もしている。『モノを整理してスッキリ暮らす』『覚悟の片づけ』など家事全般に関する著書多数。

2014/07/11 | キーワド: , , , | 記事: