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編集長・古戸郷子からのメッセージ ~はじめの一歩が、実はとてもむずかしい……~

始めたら続けなきゃ、ゴールまで到達しなきゃという思いが壁に

大阪の終活フェスタでは、最初に「エンディングノートの書き方」という講演がありました。

エンディングノートは、自分の葬儀やお墓や財産について、残された家族のために書き残しておくもの、ということはもちろんですが、これまでの人生を振り返って、改めて自分はどう生きたいのかを問い直し、また先々の不安をできるだけ取り除いて、いまをもっと輝いて生きるための、まさしく第二、第三の人生のスターティングノートとも言えるもので、私も実際に編集をさせていただいたことがあります。

 

ですから、エンディングノートの大切はとてもよくわかっているつもりです。終活が一般的な言葉になると同時に、エンディングノートを持つ方もどんどん増えているのではないかと思います。でも実際に書き始めている方は、セミナーに参加された方でも少数でした。

 

このエンディングノート、私が親家片のはじめの一歩として、再三おすすめしている「親家片ノート」ととてもよく似ているなあと思います。真剣に取り組まなければならないこと、自分を鼓舞して進まなければいけないこと、そしてとにかく近いうちには始めなければいけないこと……と思えば思うほど、その一文字、一行が書き始められない。ほんとうに「人生の終わり」とか「たいへんな親家片」の入り口に着いてしまった気がして。

 

エンディングノートについては、雑誌の特集でも何度か取り上げました。1枚のペーパーでも構わないし、立派な体裁のものでなくてもいいし、何度も作り直しても構わない、いろいろ考えも変わっていきますから……というものなのですね。現に、早くからエンディングノートや覚書(遺言状という方も多いですが)を作っている方は、毎年見直して書き足したり、直しているという方が多かったです。

 

そう、書き直しても構わないものなのです! 親家片ノートもそうなのです!

簡単に消せるペンもありますし、ほんとうはとても気軽にできるはずなのに、この「書く」という作業は(目標に向かってプランニングして進むのが超苦手な私には特にですが)、けっこうハードルが高いんです。

 

いよいよ始めてしまうんだ、始めてしまったらマラソンのようにゴールまでは歩いてもたどり着かなければいけない、苦しくても終わりまで行かなければという気持ちになってしまうのですね。リタイアしてもいいと思ってはなかなか始められないというのもありますね。

 

具体的な行動がなくても「考える」ことがすでに一歩です

はじめの一歩の「書く」ことがなかなかできずに、頭の中にはいろいろな文言が浮かんでは消え、ぐるぐるしている方は、「私ってダメだなあ」と下を向くのではなく、もやもやと浮かんでいる状態でも「はじめの一歩」を踏み出したと考えてはどうでしょう。その状態をキープしたままにしておくと、何かのきっかけで、「書く」ということに進めるのではないかなと思うのですが。

 

親家片ノートを一冊買う、これだけでも一歩進んだと、自分をほめてあげる。これでも立派なはじめの一歩だと思っているのは、私だけでしょうか……。


2015/07/05 | キーワド: , , | 記事: